美肌の為に

富士山が見える景色

東京都は、その地域を大きく二十三区部、島しょ部、そして多摩地区に大別することができます。
区でなく、島でない市町村部が多摩地区ということになります。
「三多摩」という呼称が残っており、現在も使われていますが、それは、旧武蔵国多摩郡のうち、東多摩郡を除く北多摩郡、西多摩郡、南多摩郡をさしています。
また、「都下」という呼称で表現される場合がありますが、それはかつて東京都が東京府であった時代に、東京市内、東京府下、と区別されたものがそのまま区内、都下として残っている慣習的な呼び方です。
他県などで使われる府下、県下とは、意味が異なることに注意しなければいけません。
ただ、これは現在、多摩地域を低く見ているとの批判もあることから、公の場での表現ではほとんど使われなくなっています。

かつての武蔵国多摩郡である多摩地域には、国府(現在の府中市)と国分寺(国分寺市)がありました。
JR中央線で貫かれるこの地域は、歴史的にも数々のドラマの舞台となり、見どころも多くなっています。
なかでも、鎌倉時代末期、新田義貞が挙兵し、埼玉県小手指が原の合戦を経て多摩地域に入り、圧倒的兵力の鎌倉北条軍を打ち破り、勝利を決定付けたとも言われる「分倍河原の戦い」が行われたのは、今の府中市内です。
新田義貞も通った鎌倉への道は、今も鎌倉街道として「いざ鎌倉」の姿を残しています。
また、江戸時代末期に活躍した新撰組の近藤勇や土方歳三など主要隊士の出身地(調布市、日野市)としても有名で、近藤勇生家跡など、観光に訪れる人が多くなっています。